世界遺産効果で、人波が絶えない中尊寺の金色堂新覆堂。「この平泉の誕生には、北海道の存在が欠かせなかった」と八重樫さん

世界遺産効果で、人波が絶えない中尊寺の金色堂新覆堂。「この平泉の誕生には、北海道の存在が欠かせなかった」と八重樫さん

 

 1個の壺(つぼ)が、北海道と東北の歴史を塗り替えるかもしれない。

 

 胆振管内厚真町。この夏、小高い丘や雑木林を熱心に探索する研究者がいた。岩手県平泉町職員の八重樫忠郎(ただお)さん(51)だ。昨年、平安時代に奥州藤原氏が築いた「中尊寺金色堂」などが世界文化遺産に登録された同町で長年、発掘や研究に携わってきた。

 

 探し求めるのは平泉と北海道のつながりを示す遺跡。「平泉の繁栄は東北の金だけではなく、北方との交易が支えていた。歴史を解き明かす鍵が、きっと厚真から出てくる」

 

 きっかけは数年前。研究者仲間から聞いた「厚真という町に変わった壺がある」という一言だった。壺は半世紀以上前の1959年、厚真の工事現場で出土した破片から復元された。各地で出土される須恵器と鑑定され、町の公共施設にひっそり展示されていた。

 

 その画像データを、ひと目見た八重樫さんは驚いた。平泉で多数出土する常滑(とこなめ)焼によく似ていたからだ。

 

 現在の愛知県常滑市を産地とする常滑焼の出土例は従来、青森県が北限。「北海道にあるわけない」。周りは懐疑的だったが、八重樫さんは2年前、厚真を訪れ、それが常滑焼と確信した。その後、常滑市の専門家も「可能性は極めて高い」と鑑定。12世紀半ばから後半の作品とされた。

 

 平安時代、常滑焼の最大の消費地は平泉だった。壺は、当時の権力者たちが手にする高級品。八重樫さんは「厚真に常滑焼が渡ったのは平泉ルート以外考えられない」と話す。

(続く)参照:http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/touhokukou6/2-0018300.html